ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

親は、自分で選んで、合意してきた・・・という視点が私にとってとても救いになった・・・という話です

かとうゆうです。

 

今日は、妻の母。

つまり義母が、北陸からわざわざ、うちにきてくれました。

 

実は・・・

私が育った家庭は、もうなんていうんでしょうか、家庭内別居のひどい状態で。

親同士は口も聞かない、開けば悪口。ののしり、泣く叫ぶ、、みたいな感じで。

家族団らんとかそういうのあまり知らなかったんですけども。

 

義母・義父にはとてもよくしてもらっているというか、普通に過ごせるというか。

家族団らんってこういうのかーっていうのを経験させてくれた存在です。

 

なので義母がきてくれたのは素直にうれしくて、今日も二人で楽しく「生活の愚痴大会」してました(笑)

 

で、、、今日の話は「自分の親」です。

親って、、、自分では選べないものですね。

 

育った家庭はほんとにいろいろ葛藤だらけで、正月といってもなんにもなくて、自分でパスタ作ったりしてたくらいで、、いろいろ複雑な気持ち、、、いえ、もっというと憎しみとか恐怖とか感じてました。

 

「なんとかならないか・・・」

 

でも、もがけばもがくほど葛藤が深くなり、いろいろ相談しても結局なにも解決せず、、、

 

10代とか若い頃は「死んでやろうか・・・」なんて思ったことも。

 

そのくらいしんどさを感じてました。

逆に葛藤は、哲学とかスピリチュアルなど精神的なものの探求に向かいました。

 

でも、哲学でもスピリチュアルでも共通していっていたのが、

「親は、地球に来る前に、自分が学ぶために選んで、合意してきた」ということ。

 

、、、といわれても、当時は正直とてもじゃないですけど納得はできなかったです。

「真実かもしれないけど、でも違う理由があるんじゃないか?」って。

 

だけど、あるとき、気がついたんです。

ほんとに今もなんで気がついたか、その具体的場面とか思い出せないのですが、気がついたこと自体ははっきり。

 

「いびつだけど、あれも”夫婦”なんだ」

というのがひとつ。

 

家庭内別居してもめてるくらいなら、離婚した方がよほどいいんじゃないかと思いましたが、

「あ、、、、そうか。父も母も”何かを学ぶためにきている”んだ」と。

 

だから表面的には「もめる」という形をとっていますが、そこには子供でもわからないけど、何か夫婦二人のテーマがあるんだ、と。

 

そして同時に。

 

「私は私。私自身でいることが一番の私の責任」だということ。

 

冷たい言い方かもしれませんが、「親は親。自分は自分。」

親の不幸を、子供が背負うことはできない。

結局、今の問題は親自身が当事者として、面と向かって問題に向き合うしかないんだ、と。そして父も母も、向き合うことが怖いので「もめる」という形をとっている。

 

いずれにしても、たとえ血縁の子供であっても、そこに対して子供が親を「変える」とかそういう視点より「私の人生」を生きていくのが大事だ、と。

 

それで、、いろいろ距離感を探っていったんです。

 

で、、、今どうなったか?というと。

結局父も母も未だに離婚もせず家庭内別居。口も聞かない。開けば悪口状態です。

(すごい話ですよね。。。もう何十年もですから。。)

 

でも私の気持ちが変わったので「それはそれ。あなたたち(父母)がしっかり向き合うべきテーマ」、もちろん私ができることがあればサポートはするけど、大前提は本人たちがしっかり向き合おうとする勇気を持つことだと思っています。

 

なので「つかずはなれず」よりも「やや遠い」くらいの距離感でいます。

 

そんな「距離」をとってみると、過去は電話とかするのも嫌だったんですけども、今はほとんど抵抗なく「普通に会話」しています。

 

「親の抱える問題」と「子供の立場としての私」は別だと思っているので。

 

そして、これ一番大事なポイントなんですけども。

 

私のこの話が正しいとか正しくないとか、そういう気持ちではまったく書いていません。

 

ただもし今「親」との関係で苦しんでいる方がいれば、なにか参考になればいいし、ならなくてもそれはそれで全然かまわない。。

 

そんな気持ちで書きました。

 

「どんな親であれ自分で選んできた」

 

って言葉で書くとこれだけの文字数ですけど、本当にそれを受け止めるって大変です。

今だってもちろん100%私に違和感がないわけじゃないですし、距離をとる・・・ていうアプローチがよかったのか、なんて思うことだって、たまにですけども、あります。

 

でもある意味、覚悟というんでしょうか、なんというのか、わからないのですが、少なくとも私にとっては、このことを学ぶ必要があったんだ、、、と思っています。

 

あと。

話が前後しちゃいますが、こんな家庭で育った私は、心理学でいう「アダルトチルドレン」でした。本でいろいろ読むと、思い当たることがたくさんありました。

 

最初「そうである=親が悪い」って考えて、もがいてたんですが、「そうである=それ自体も自分のテーマ」・・・そんな風に、なんとかもがきながら少しバランスをとっていきました。

 

今も克服・・なんてえらそうなことはいえませんが、バランスをとりながら、そして少しずつ学びながら今に至る・・・そんな感じできてます。

 

、、、と、なんか、、、ほんとにまとまってないんですけど、パソコンを前に、さぁ!ブログ書こう!と思ったらなぜかこの話が思い浮かびました。

 

なので、、たどたどしくなっちゃいましたが、書いてみました。

 

それでは今日はこのへんでー!