ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

老化は、小さい頃から気をつけないと、、、そして「あなたが、あなた自身を大事」にすること

かとうゆうです。

 

昨日思いついていた、もうひとつのテーマ

「老化」

 

これ、シニアだけじゃなくて、気をつけないと未就学児童から、です。

 

ときどき、シニアの人

「デジタルとか、そういうの苦手で」って。

 

私もだいぶシニアに近づいてきた(笑)ので、あえて厳しくいうと

「そうじゃないな」って。

 

要するに「勝手に定義している」んです。

 

「私は苦手だ」と。

 

最初から苦手、できないと「思い込んでいる」

 

逆にいうと「それだけ」

 

っていうのは、例えば植栽が好きなシニア。

栽培方法について「AIチャット」で調べてたりします(笑)

 

要するに「年を経て」

「私は、関心がある・ない」を、だんだん狭く定義してきて

さらに、そこに

「それが、”私”」だと”信念”にまで強化してしまっている。

 

とはいえ。

これも「選択」ですから

 

別に「デジタル苦手」でも、全然OK。

 

でも、やっかいなのは「影響力のある立場の人」

これが、これになると「やっかい」

 

自分の経験を単純に”普遍化”しちゃう

 

私はこれが「老化」だと思っています。

だから、未就学児だって、気をつけないと、親とか社会からいろいろいわれ続けて「そういうもの」と思い、それが「信念」だと思い込む。

 

さて、話を戻しまして。「影響力のある人」

 

これは「やっかい」です。

 

自分の経験を”普遍化”しちゃいます。

 

本当は、

・人のご縁

・タイミング

・社会情勢

つまり「変わり続ける」

 

あなたにとってスペシャルな体験だとしても、それを”普遍化”して、みんなに通用するとは限らない。

 

たとえばリモートワーク。

「リアルで合うからわかるんだ!」とかって。

 

そうじゃないですね。

リアルとリモート、「両方あるから、コミュニケーションは”深化”する」

 

でも、自分の経験を「普遍化」しちゃうので、

 

「仕事とはそういうものだ!」と。

 

本当は、そこに「老化」

つまり、単純にいうと「面倒くさい」があるのだけど、

ネガティブだから、無意識にそれを「否定」して、逆に「信念」だとしてしまう。

 

影響力のある人だと

部とかチームに「適用」しようとする。

意見をいっても聞かない状態。

 

だから「やっかい」です。

 

まだまだあります。

高度経済成長期(つまり、ネットもSNSもない時代)のロジックを「普遍化」

 

・仕事は、深夜までばりばりやるもんだ!とか

・女性は家庭にいるのが幸せなんだ!とか。

これ。

戦後壊滅した国土復興のために「時間量」と「男女で定義」して、生産性を高めた、当時の「成功体験」です。

 

時間じゃなくて、価値。

家庭かどうか?は男女個人の選択。

 

でも「老化」しちゃうと、「信念」だと思い込んでいるので、

しまいには

「今の若い人は”弱い”」なんて、お酒飲みながら、、、

 

そう。

「今の若い人は、、、、」なんて思うようになったら

「アラート」です。

 

「あ。やばい。私”老化”しているかも」と。

 

なので「デジタルは苦手」

 

近い世代として、はっきりいっちゃうと

「単に”面倒くさく”なっている」だけ。

「”そういうもの”と勝手に定義している」だけ。

 

だと思います。

 

明治時代。

電話ってのがきました。

 

電話、、、当時の人にとっては「革命以上の革命」です。

もう未知との遭遇

 

でも、どうでしょう?

今「電話」、普通ですよね?

 

そして、地球は「どんどんリアルとデジタルが進化」しています。

「苦手」っていいながら、孫との会話でLINEしたり。

子供に懇願されてフォートナイトやったり。

 

「やればできる」

 

やれば、できるんです。

 

だから「それが本当に、本当の自分の本心からいっているのか?単なる、面倒になっているのか?」はよくよく吟味しないといけない。

 

学校も同じ。

小学生は、中学生は、、、という「属性定義」

「あなた」じゃなくて、「属性で判定」

 

これに「合わせる」ことが「優れている」になりやすい。

 

そうじゃなくて「あなた」

仮に社会がどう定義しようと、あなたには「無関係」

 

そのくらい思って、しっかり「あなたが、あなたを大事にすること」

 

これが大事だ!と思っています。