ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

老化・・・これ、5歳くらいから気をつけないと。え?フィジカルの話?ではなくて、メンタルの、です

かとうゆうです。

 

いきなり質問ですが

犬や猫は好きでしょうか?

 

動物の年齢って見た目でわかりますか?

 

結構わからないですよね。

もちろんプロは別かも、ですけど。

 

なぜか?

おもいしろい言葉に出会いました。

「動物は、”ありのまま””らしさ全快”で生きているため、早いスピードで細胞が生まれ変わっているから」

 

だそうです。

 

つまり

らしさ全快

 

細胞の再生も早く、「見た目」もあまり変わらないとか。

 

そう考えると

人類って、、、「らしさ全快の、逆をいってる」ともいえます。

 

社会とか

制度とか

(間違った意味での)伝統とか慣習とか

 

「あなた」ではなくて、

 

男性とか女性というだけで

20歳だから30歳だからというだけで

無数の「らしさ制限」に満ちている、とも。

 

これは生命としては

「異常」ですね。

 

諸説ありますが、

120歳くらいまでは「生きれるはず」という科学的意見もあります。

あるいは

300年とか。

 

伝説の人物で何人かいますけど

サンジェルマンとか老子とか、いろいろ。

「実は、らしさ全快で生きることができれば、ふつーに生きれる」ようです。

 

人生100年時代、なんていってますが。

たぶん、これ、未来の人からみたら、

 

まるで私たちが、今、戦国時代の平均30歳くらいを「短い!」と思っているような感覚になるんじゃないかと思います。

 

100年?

やっと「熟年じゃん!」みたいな(笑)

 

で、、、こうした「社会的定義」に埋め尽くされている現代ではありますが、

 

もうひとつ。

 

めんどうくさい

 

これ、です。

 

今、スマホとかAI。

一部のシニアの方は「よくわからない」といいます。

 

でも、ですね。

怒られるの覚悟でいうと、

 

本当の、本心の、奥にあるのは

「めんどうくさい」

です。

 

新しいことを覚える、触れることが「めんどう」

それよりも「今までの経験の延長でいる方が”ラク”」

 

でも、この「本心」

本人も、「認めたくない」ことが多いです。

わりとネガティブですからね「めんどう」っていう理由。

 

だから本人も無意識のうちに「正当化」しちゃう。

ついには

「仕事とは、、、コミュニケーションとは、リアルな対話だけなんだ。それが一番なんだ。」と、「思い込んでしまう」

さらには

それを「他人や周囲に”べき論”として、ふりかざしてしまう」

 

明治時代に「電話」がきました。

このときも「てやんでー。声だけで話せるかよ!」という人いました。

 

「会って、表情見て、それが会話だ!」と。

 

でも、今「電話」について、そんなこと言う人いたら

「?」ですよね。

 

私たちは、「声だけ」でも、「熱意」「落胆」などの感情を伝えたり、読み取ったりするスキルをごく普通にもっています。

 

とはいえ。

もちろん「電話は不要」という選択も、自由です。

 

すべての体験は「価値あるもの」ですから。

「らしさ全快の結果、電話は不要」という人がいても全然OK

 

なので選択、、、、ですけども。

 

少なくとも「私の選択」はそこにはないです。

 

子供たちをみていると「デジタルコミュニケーションは当然」です。

未だに「ゲーム=悪」みたいなこといわれますが

もう「ゲームデバイスは、コミュニケーション」ですね。

 

昔、めんこやらヨーヨーといった「デバイス」が電子化しただけ、です。

 

教育なんかみていると

「あー。これ、自分たちの子供時代を原体験として、今を判定しているな」と。

 

子供は、外で、どろだらけになって、汗かいて、、、、とか。

 

でも「デジタルでも”汗”かいたり、”泥だらけ”になれなす」

 

要するに「選択肢が増えている」わけですね。

 

あれ?

話があちこちいきすぎました(笑)

 

肉体は衰えるわけですが、

精神やスピリットは「衰えない」

 

話飛びすぎますが、

B’z

 

すごいですよね。

還暦ですよ。

 

でも、「ハートは熱いまま」ですよね。

 

確かに、「もともとかっこいい」という外見はあるかも、ですけど。

でも、「雰囲気がかっこいい」です。

 

人間だって

らしさ全快でいれば、

 

動物たちと同じように「見た目では年齢わからない」

細胞が次々生まれ変わる

 

これができるわけです。

 

そう考えると、

たかだか、テクノロジーくらい。

 

「めんどう」なんていっている場合じゃないですね。

 

私、以前、衝撃的光景をみたんです。

 

本屋。

プログラム言語の本のコーナー

 

うずくまる老人。

いや、もう80歳くらいかという感じ。

 

気になってみたら

「しゃがんで、立ち読み」

 

なに読んでるの?

 

Pythonの構文です。

 

もちろん「プログラムが最先端だとか、それをやるのが・・・」とかってわけじゃないですし、

 

その老人も、若いころ「コボル」とかやってたのかも、ですけど。

 

本屋でPythonの構文立ち読み

 

「かっこいいーなー」と。

 

だから、やっぱりですね。

ちょっと厳しい言い方ですけど、

 

「テクノロジーはよくわからない」というのって、「めんどうくさい状態」なんじゃないかなって。

 

さらに、自覚的に認めたくないので

「仕事は、こうするものだ!」と、経験の延長で「定義」してしまう。

 

ちなみに、ゲーマーの私の理想の死亡方法は

 

Apexをやりながらランクマで負けた画面の前で「死ぬ」です(笑)

 

死因は「ランクマで負けがこんで、血圧があがったため」(爆笑)

 

ま、、、完全に脱線ですけども。

 

そう考えるとですね。

「老化」って、

 

もう5歳くらいから始まるんです、気をつけないと。

 

そのときからすでに

「男の子なんだから!」「女の子なんだから!」と言われ始める。

 

「あなた」じゃなくて、単に性別がそうだという定義に「従う」ことを求められるわけです。

 

そして「男はこういう風に生きるものだ」と「自分で正当化」し、それに合う合わないで、自分や他人を判定する。

 

別に、男がピンクが好きでも、なにも変でもないですね。

弱音いったりするのも、

 

性別の前に「人間」ですから。

 

女だって「メイクもベースもやらねー、毎日、着古したジャージだぜ」っていう人でも、なにも変じゃないですね。

 

「らしさ」ですから。

 

LGBTqなんていわますけど。

あれは「男性とは、女性とは」と社会が定義しちゃったから、「それ以外を(意図するしないにかかわらず)排除した結果の名前」です。

 

何かを「健常」と定義するから、それ以外を「例外として、排除しちゃう」んです。

 

だから、そもそも「LGBTq」とか「障がい者」っていうのは「存在しない」んです。

 

個性、キャラクターですから。

人それぞれでいいんです。

 

だから、いつも思うんです。

人類皆平等とか人権とかいっているけど。

「全然、違うじゃん」って。

 

中世時代と同じように

「何か特定の言動を”是”として、それ以外を”否”として、否の人を、是に”矯正”しようとしている」な、と。

 

いや、、それにしても、今日のブログは、いつも以上に、あちこち話がいってしまいました。

 

お許しをー!