ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

日本の社会の最大の課題は・・・

かとうゆうです。

 

結論からいきます。

ジェンダー・ギャップ」

 

これ、女性だけの課題ではないんです。

男性も。

 

なぜなら、

男性

女性

 

で、言動に対して「らしさ」を定義されているのは、男女とも。

中でも「女性」が特に厳しい状況。

 

我が家は、育児・家事、ぜんぶ「分業」です。

「分担」ではなく「分業」

 

分担は、パーツごとに担当がありますが、

分業は

「ひとりでも、すべてをこなせる」のが前提。

 

もちろん。

出産、授乳。

こうした「生理的」にどうにもならないことはあります。

 

しかし、逆にいうとそれ以外は

「男女関係なし」

 

育児・家事。

「男女、まったく関係なし」です。

 

そもそも。

男性=仕事

女性=家庭

 

というのは、国土が壊滅し、餓死者が出た復興のため。

あらゆる資源・リソースを、とにかく効率だけ重視してなされるために、定義されたものです。

 

ここで大事なポイントは

時間の投下量」です。

 

品質ももちろんありますが、「とにかく生産・数を作る」

そのために、同じやり方、同じ働き方、制服まで同じにして、

「時間をどんどん投下」して、回転・生産する。

 

これが経済大国2位まで復興した、原動力です。

 

しかし。

今は、まったく違います。

 

付加価値です。

 

いくら時間を投下しようが関係ない。

毎日、同じ職場、同じ人間関係の中よりも、

多様で、新鮮な人脈やノウハウに触れた方が、

アイディア・付加価値は生まれる。

 

時間じゃない。

 

だから、週休3日でも、残業禁止でも業績は出せる。

 

時間じゃないので。

 

ところが、「時間の投下量」

 

まだまだ残存。

 

その「投下」を背負わされたのが「男性」です。

その人でも、個人でもなく「男性」というだけで背負う。

 

たとえば、日本企業では

「だいたい帰ってもいい時間」が存在します。

 

ほんとならもうやることないけど、帰りづらいから

パワポのお化粧でもするか」と。

 

これ、生産性高くなるわけないです。

 

今や日本は

賃金、生産性、幸福度。

すべて先進国最低です。

 

時間じゃない。

 

なのに

「高度経済成長期的な時間量の投下」

これを男性が背負う。

 

ドアツードア

「朝から晩まで仕事」

 

これでは家庭はやりくりできません。

 

そこで

「家庭」を背負うのが女性。

 

繰り返しですが。

戦後復興という、超異常事態では、やむを得ない側面ありました。

いけてないシステムですが、まったく否定はできない。

 

しかし。

今は全然時代が違う。

 

「あなた」

「個人」の時代。

 

にもかかわらず

「男性は、仕事」

「女性は、家庭」

そして「男性が優位」

 

時代は変わりました。

女性でも「働く人」が増える。

 

これ。

未だに「経済的にやむをえない(女性は家庭にいるのが幸せ)」と勘違いしている人もいますが、

 

男性、女性の前に

「あなた」「個人」であることを考えると、抑圧されていた女性が、社会で活躍の場を求めるのは、とても自然なことです。

 

共働きが増加。

 

ここで「二重の負担」が女性にきます。

 

「家庭と仕事の両立」です。

 

男性でも「育児に関わりたい」人はたくさん。

でも「早く帰ると、評価が・・・」とか。

「早く帰りづらい・・・」とか。

 

男性は、「あなた」ではなく「男性」というだけで「仕事」しかも時間の投下という働き方を背負う。

 

そこで家庭のことは女性がやるしかない。

 

働くママの生産性は、圧倒的に高いと感じています。

あらゆる仕事、タスクをやりくり。

難しいときは、仲間にヘルプ、そのための情報共有。

そしてお迎え時間には「ぴたり退社」

 

ぐだぐだ残っている一部の男性より、はるかに生産性高いと思います。

 

それでも「男性的働き方」

すなわち「時間の投下」を求められる。

 

特に、きついのが「幹部」になったとき。

女性が課長に。

だけど

「男性的(時間の投下)働き方」を求められる

さらに「家庭」も。

 

このような状況ではなかなか役職に居続けることは難しくなります。

 

私の知人では、

「帰宅して、家のことをやって、22時から24時過ぎまで仕事」をして、なんとかのりきっている女性もいました。

 

こうした「構図」

 

この前提に横たわっているのが

「時間の投下」という働き方です。

 

そして、それが「働く」ということだと定義される。

 

そして「男性」というだけで、それを背負う。

女性は、「”男性的”働き方に加えて、家庭もやりくりしないといけない」

 

つまるところ

誰も、ハッピーじゃない」んです。

 

かたや。

世界では、週休3日も。

残業なんて「むしろ仕事が遅い」くらいのイメージの国もある。

 

夕方になれば、男性も女性も

「お迎えありますから」「夕食つくりますから」で退社が、ごく普通。

 

時間じゃないんです。

週5日。

1日8時間。

フルタイム。

 

これ、天体の法則でもなんでもない。

むしろそこにしがみつく形で、さらに「残業」までONしている。

 

生産性が世界的にも低い国になるのは、当然だと思っています。

 

 

なので。

ジェンダー・ギャップ。

 

女性の地位が低いという事態。

 

これは「男性も含めた全員の課題」だということです。

 

さらに日本では「時間の投下」という働き方から脱却できるかどうか?が問われている。

 

少子高齢化でも、資本主義の成熟でも、日本経済の低迷は原因ではありません。

「いまだに1960年代」状態が根強く残っている。

 

そもそも。

「あなた」

「個人」

という、大事な、生命の基本よりも、前に

 

「男性である」「女性である」というだけで、定義つけされ、評価されるというのは

ある意味「人権」の本当の意味が体現できていないともいえます。

 

まず最初は

「あなた」

「個人」です。

 

専業主婦でも、専業主夫でも。

キャリアばりばりでも、そこそこ働く、でも。

 

男性、女性じゃない

まず「あなた」はどうしたいか?それを社会がどれだけ「全快」を許容できるか?

 

社会は

「あなたらしさ全快」をまだまだ許容しているとはいえないです。

 

・仕事は、深夜までがんがんやるくらいじゃないとだめなんだ

・働く女性も、本当は働きたくないんだろう。

・料理とか育児とかは「やっぱり母親」でしょう

・男性はどちらかというと「先頭」、女性は「サポート」

これらは、もう旧社会の考えです。

 

男性である前に、女性である前に

 

あなた、として

家庭を重視したい人もいる。

仕事をどんどんやりたい人もいる。

 

なので。

ジェンダー・ギャップ。

 

女性活躍というと「女性だけ」集まっていることが多いです。

それもあってもいいし、必要。

 

だけど「女性だけ」に本当になってしまうと、

問題が、矮小化してしまうと感じています。

 

企業の中で、「女性活躍プロジェクト」を立ち上げても、

結局「昔と、基本は変わらない」ことが多いと感じています。

 

日本社会に提起されているのは、

「男性、女性という定義自体ではなく、”個人”」

「時間量ではなく、付加価値」

これをどのように実現しますか?というテーマであり、

 

このテーマは、男性だろうが、女性だろうが、関係なく、すべての人の課題です。

 

「すべての人の課題」

この大前提にたった議論をしていかないと、なかなか課題はクリアにならない。

 

男女機会平等。

法案が成立して、30年もたちますが、未だに社会は変わらない。

 

「みんなで考えるべきテーマ」

そして

「もう世界では、その解決策が具体的に提示されているテーマ」

です。

 

追記)

蛇足ですが「私」は、男性です。

でも、ジェンダーギャップの課題は、本当に深刻だと思っています。

同時に「それは解決しようと思えば、すぐできる」と思っています。

 

もういい加減「1960年代の夢」から覚めて、新しい未来を作るときがきていると痛感しています。