ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

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犬のかわいい・・・は悟りの境地

かとうゆうです。

 

犬、かわいいですよね。

 

あ。

犬が苦手な方は、好きな動物とかに置き換えていただければ・・・

 

少し家の中をうろうろすると

「出かけちゃうんじゃないか」なんて、じーっと見つめたり。

 

散歩だよというと、それまで、おやつをほしがってたことを

すっかり忘れて、ぴょんぴょん飛び跳ねたり。

 

外見、仕草が「かわいい」っていうのもありますけど。

 

「悟りの境地」だな、って。

 

あるがまま、とか、雑念がない、、、とかよくいわれますけど。

 

禅の境地。

白隠禅師が

「なまくらな座禅なんかしているくらいなら、バクチで必死にやってる方が悟りに近いわ!」と。

 

バクチがいいとかわるいとかではなくて

「無の境地」ですね。

 

人間は、社会システムと言語がありますから。

「いろいろ考える」

 

雑念っていっても「妄想」だけじゃなくて、

「定義」が実は多い。

 

何かするには、何かないといけない

これをしても、これがないとうまくいかない

 

キャリアとか資格とか。

 

いろいろ。

 

でも「やりたいこと」

なら、そういう「雑念」はいらないですね。

 

とにかく、やる。

 

これだけです。

 

動物が「かわいい」というのも、

 

動物たちは「悟りの境地」ですね。

 

あるがままに生きている。

だから見た目が「年をとらない」とかいわれてます。

 

細胞の再生スピードが速い。

 

ひょっとすると「動物は、人間より知能が・・・」なんて思うことがあるかもしれませんが、

 

実は「あるがまま」から、どんどん離れているのは「人間」かもしれません。

 

もちろん、言語や社会システム自体は必要ですが

 

バブル崩壊後は経済が・・・とか

資格がないと難しい・・・とか

恋愛するには「出会い」が必要・・・とか

 

そんなフィジカル脳のロジックで、推測や推定をしているわけですが、

 

推測や推定自体が

 

親とか社会から「定義」されていることに従っていることが多い。

 

男性は、、、とか、女性は、、、とかもですね。

 

今は少なくなりましたが「お茶くみ」とか。

女性?・・・別に、やれる人がやればいいじゃん!

、、、でも「女性のほうが・・・・」なんて思ってしまう。

 

これは「生命の原則」ではなくて、

親とか社会による「定義」ですね。

 

それがいつしか「自分の信念や嗜好」だと思ってしまっている。

 

動物が「かわいい」

 

そこには、大事なことがあるな、といつも感じます。