ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

親との関係。これかなり悩みませんか?でも、親は、自分が選択してきたんです、、、うーん、よくいわれるけど、、、それをどう咀嚼してきたか?

かとうゆうです。

 

今日も、ひなたぼっこしながら、ということで。

 

親との関係

 

これ悩んでいる方多いかも、と。

 

私自身、わりとヘビーでした。

小学生の頃から、親はずーっと家庭内別居。

 

口を利かないので、私が「連絡役」「雰囲気つくり役」

完全にアダルトチルドレンですね。

 

高校生のときに「いい加減、離婚しろ」といったものの、

なんだかんだ言い訳。

 

本人たちは、いいですよね、ある意味。

憎みあっていればいい。

 

だけど、それを周囲がフォローする。

冠婚葬祭とか。

えらい気づかれ。

 

結局、「本人が、問題を直視していない」おかげで、

周りが迷惑。

 

迷惑をかけ続けているということがわかっていない。

 

自分の世界。

自分中心になっている。

 

、、、と、まぁ、こんな感じで。

 

今も、家庭内別居。

 

私は家族もいるので、独立していますが。

自分たちが、介護が必要になったらどうするつもりか?

相変わらず、考えてないみたい。

 

さて。

いろいろな関係あると思います。

 

でも。

親は自分で選択してきた

 

これが事実です。

 

生まれたテーマに沿って、必要な体験をするために「親」を選択。

 

しかし、この考え。

賛同はできても、なかなか理解しづらかったですね。

 

確かに「学び」はあるっちゃある。

「問題から逃げない」とか。

「エゴの生き方をしない」とか。

 

でも、それだったら、違う体験、違う親でもいいのに、と。

 

よく前世の因果といわれますが。

 

その因果自体も、自分で設定」してます。

 

別にカルマの法則が、普遍的に、自分ではどうしようもないものとしてあるのではなく、

「前世で〇〇したから、今生では〇〇しないと」と

自分が選択しているだけです。

 

 

実際は、いくらでも選択肢はあります。

 

 

とはいえ・・・ですよね。

親だとどうしても感情からみますし。

 

すぐには答え出なかったです。

 

でも、10年、20年。

小さな気づきを積み上げていくと、だんだんみえてきました。

 

そうなんです。

 

認めたくない・・・とおもっていましたが

「親のような傾向が自分にあった」んです。

 

もちろん他人を傷つけるとかではなくて、

自分ではなく、物事を変えることで、環境を変えようとしていた」んです。

 

例えば。

会社で、いけてない職場。

「ここがわるい」「ここがだめだ」

だから、変えなくちゃ!と。

 

でも、違いますね。

 

そういう職場も「自分で選択」してきた。

 

ということは「自分が変わること」が大事です。

 

他人や物事を変えることが、シアワセと定義すると、様々なものに執着します。

 

結婚とかもそうですね。

 

結婚できないと、シアワセになれない!・・・になってしまう。

 

実際は、結婚しようがしまいが選択だし、

ライフテーマに合ってないときは、する必要もない。

 

つまり「結婚」という出来事自体は「中立」

意味を持っていない。

 

与えているのは「自分」ですね。

 

 

私は、正義感と自分では思っていましたが

いけてないものに対して、

結果的に攻撃的になってしまいました。

 

意図せず、傷つけたことも。

傷ついたことも。

 

 

なるほどなー。

他人じゃないんだ、自分なんだよ。

 

だって世界は自分の選択でできているから。

 

 

ここにたどりついて、はじめて「わけのわからない親」の体験がなぜ必要だったかがわかってきました。

 

で、、、今。

 

「距離」とってます。

 

最低限くらいの接点。

 

そして「あまり気にならなくなってきた」んです。

 

”あまり”・・・なので、まだ感情的に「ん?」と思うことありますが。

 

親たちは、本人のテーマがあって体験しているわけで、その体験は本人がどうしたいと思わない限り、いかなる肉親でも、親友でもどうにもならない、ので。

 

「あいかわらず、自ら苦しい体験をしている人たちだな」と。

 

え?

冷たい?

 

かも、ですね。

 

でも「親も他人」である。

「自分のシアワセは親の選択とは違う」

 

これも事実です。

親に感情移入しすぎて、自分もつぶれてしまったら、本末転倒。

 

親孝行、、、、確かにそれは「普通のケース」なら成立しますが、

異常事態の場合は、孝行どころじゃないし、それをしないからといって「冷たい」ってわけじゃないって思ってます。

 

現に、

「しゃーないなー。どっちかの親がぼけたら、どうせ介護サポートなんてお互いやんないだろうから、ソーシャルワーカーに相談して、ああして、こうして・・・・」

 

なんていう「想定と覚悟」はできてますんで。