ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

"少し”こころが疲れたら・・・

かとうゆうです。

 

今日は「”少し”心が疲れたと感じたときは、遠慮なく、一切かまわず休むべし」という話です。

 

”少し”と書いたのは理由があって。

 

”重い”ときは、これはもうアラートなので、休むだけではなく、病院やカウンセリングなど受けて、他者と思いを共有するのが急務かな、と思ったので。

 

今回は”少し”心が疲れたとき。

 

これって結構、いろいろ経験しているんじゃないかと思います。

「フィジカルな疲れ」ではなくて

 

「なんか、心、気持ちが疲れた・・・」というとき。

 

全身が、こう少し沈んで、何かぼーっと海岸でも眺めたいような気分。

 

こういうときは「一切構わず、休む」といいかな、と思っています。

 

というのは、これは自分の本心。あるいはスピリチュアル的にいうと、ハイヤーセルフ的存在から「休んだ方がいいよ」という場合が多いと思っています。

 

仕事とか。

「そうもいかないとき」

 

あると思います。

締め切り、納期・・・

 

もう絶対的にどうしようもない・・・と思ったときは、逆に「そういう”絶対的”と思っている気持ちを抱えたまま、休む」のはかえってよくないので、やりきるしかないですけども。

 

ちょっぴり余裕があるともいえなくもない。

でも、タスクとか工程考えると全然時間がない・・・

 

というとき。

 

そのときは「休む」に限るかなと。

 

半日でも1日でも。

 

結構、あるあるだと思うんですけど、

「思い切って休んで、翌日会社いったら、なんかしらんけど、解決してた」とかってありませんか?

 

大事な会議があろうが、自分が主催の何かがあろうが、クライアントに話しておかないととか、、、まぁ、いいじゃないか、と。

いなければいないで、なんとかするし、それが「組織」「仲間」でしょ・・・くらいな感じで。

 

 

心の疲れ・・・ってたいていの場合「焦り」から来ますね。

頭で考えて「余裕がない」と思っているとき。

 

この状態はある意味、直感とかスピリチュアルとかからは離れてしまって、分離されて、「フィジカルな頭」だけで考えているとき。

 

フィジカルって現実的な考えは、「一見、とても現実的に思える」ので焦りますけど。

 

でも、フィジカルな考えは「感じられることの範囲」でしか考えられないです。

なので「過去」は振り返るのは得意。でも、「未来」を予想するのは、実は苦手・・・というより、スキルアンマッチです。

 

ある意味「フィジカルくん」に、想定以上の重荷を背負わせて、「未来」を無理矢理考えさせている状態。

 

実は「休む」方が、みんなにとっても、自分にとってもはるかにいい場合があります。

 

育児とか家事とか。

私も兼業主夫なので忙しさ痛感していますけども。

「煮詰まる」とき。

 

1日くらい、夕飯作らなくても、洗濯しなくても、子どもの相手が面倒なので「アンパンマン」の映画をひたすらみせておくとかでも。

 

1日くらい大丈夫です。

パートナーもなんか動くでしょうし。

 

なので「心が少し疲れた」と思ったときは、

 

ネガティブな意味での「サボり」「面倒」とかではないかどうか?を少し見極めて、

次に「本当に”少し”?、ほんとは”重くない?”」を少し見極めて。

 

それでも「やっぱり心が休みたい」っていってる。

 

というときは、現実的なことは一切無視して、「休む」

 

これが結果的によいかもって思います。

 

え?・・・なんでこんな話書いているの?と?

 

お察しの通り、本日は私は「少し心が疲れている」ので、休みます-!

 

なんかわりといろいろあるけど、「ま、生命に関わる話でもないし。休んだ方がよいってわかってるから」なんて、いいながら・・・

 

それでは今日はこのへんでー!