ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

今の社会「いろいろあるけど、そこそこいけてる。」あるいは「まぁ、人間同士の社会だから我慢もあるよね」と思っていたら、進化は停滞してしまうかも・・・という話

かとうゆうです。

 

なんか、この数年くらい。

あらゆることを、客観視して、定義とか”べき”を外してきた

 

そんな感覚があります。

 

ただ、これ難しいことではなくて、

生命として

 

これがキーワードです。

 

人間というのは、社会というシステム、その中の規範

そうしたたくさんの交差する、無数の「べき」を作り出してきました。

 

同時にそれらは

「必ずしも”進化”しているわけではない」

ということ。

 

進化・・・の定義にもよりますが、

シンプルに「シアワセに向かう進化」と定義したとき

 

必ずしも直線的な歴史を描いているわけではありません。

 

もちろん。

数千年とか、大きな単位では「進化」といえるのかも、しれません。

 

逆に100年そこら

数百年そこらは、「たいして変わらない」こともあります。

 

特に今はテクノロジーが進化して

「100年前より”進化”している」気になってしまいますが。

 

例えば、インディアンやアボリジニの人々の哲学性、世界観。

実は「圧倒的に”進化”」していたりします。

 

テクノロジーというのは「表現」です。

表現はいくらでも見栄えよく、便利になりますが、

 

「シアワセの本質」とは全然違う概念です。

 

目的と手段といってもいいかもしれません。

 

とはいえ。

「進化」

 

というのは、なにかのかたまりのような

統一的な動きではありません。

 

現代社会も、進化していたり、後退していたり、

様々な濃淡があります。

 

そして「大きい意味では、後退も進化」ですね。

 

 

、、、と少し話を戻すと。

 

「客観視」

 

これは難しいことではありません。

 

要するに

「生命」以外は、ぜんぶ

 

「人為的に設定された、仮の有様」だと、まず思えばいいんです。

 

会社、週5日、8時間

人事異動、ジョブロテーション

管理、マネジメント

 

政治も、経済も、あらゆる社会システムは

「便宜上」

「仮に」

存在しているだけです。

 

それが「生命のシアワセ」に適合していないときは

遠慮なく変えればいい。

 

組織に「管理者・上位者」が必要がないというのも、世界ではだんだん浸透しつつ

異動や配属を、「誰かが決める」事がおかしな形態だということも

 

そして、大事なポイントは

「変える」は、簡単にできます。

 

簡単です。

 

会社や組織で、よく不満を言っていたり、あきらめていることがありますが

 

厳しい言い方をすると「本気でそう思っていない」と感じることがあります。

 

これは私の、ほんとうにつたないやり方ですが

例えば、社内で有志を募り、ミーティングを重ね

そこで出たアイディアを

直接、社長に投げかけたことがあります。

 

むしろ社長は喜んでくれました。

もちろん、私のやり方なので、それで激変したわけではありませんが、

組織、縦割り・・・こうしたことに何か寄与できる動きができたと、勝手ながら思っています。

 

 

そして、もちろんそこまでしなくても

いろいろ選択肢はあります。

 

ネット、SNSというパワフルなコミュニケーションの世界があります。

 

インフルエンサーじゃなくても、

そうした「声」が、社会を変えるというのは、もうたくさんみなさんもご存じかと思います。

 

商品が変わったり、

いろいろな差別や区別に、大きな疑問が提示されたり

 

そもそも「その会社を変えるために、その会社を変えなくてはいけない」というのも、定義に過ぎません。

 

大事なことは「あなた」ですから、

 

転職するのもいいでしょう。

あるいは、逆にそれが原動力となって、広い人脈に触れることができるかもしれない。

そうした「自分らしさ」の発揮の中で、

会社で「問題」だと思っていたことが、相対化されるかもしれません。

意外な突破口がみつかるかも。

 

社会は変えられる。

 

でなければ、人類は「生き残っていません」

 

そして「今の社会の在り方は、100年後からみたら」

 

ぜんぜん「イケてない」

 

 

まるで、私たちが、産業革命の労働者をみるように

今の私たちの、生活・社会は「イケてない」という思う感覚も大事だと思います。

 

現代社会が

「進化の頂点」とも限りませんし

「いろいろあるけど、それなりに”まとも”」とも限りません

 

よく星や天体をみるのですが、

宇宙の在り方

法則

 

そうした「普遍的」なものこそが、生命のシアワセを描く鍵となります。

 

その意味では、

「ちょっと日本のみなさん、あきらめ過ぎてませんか?」と。

 

歴史をみればわかります。

衰退というのは、

「人々の心」が停滞したことが原因です。

 

なにかの崩壊やシステムによってではなく、構造によってではなく。

それらはすべて「乗り越え、変えられるもの」

 

だから、生命は生き続けている。

 

それを「あきらめ、しかたない、そういうもの」としてしまったら、

 

もう進化どころか、「停滞」です。

 

でも、少し視点を変えて、

 

まるで、100年後の木星居住基地から

今の地球を眺めた気持ちでみれば、

 

「そこには、たくさんの、シンプルに変えることが可能な、そしてシアワセへの無数の足掛かりが存在している」

 

これがわかる・・・そんな風に思っています。