ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

自分のここがイケてない?とかって思ったりするかも、、、でも「イケてない」ということ自体に「選択」がある。あなたが「あなたを大好きである」ように・・・

かとうゆうです。

 

いきなりですが、みなさんは

「自分のことが、大好きですか?」

 

いろいろ反応あるかも。

 

「性格のああいうところがいけてない」

「○○がうまくできない」

「外見のこういうところ」

 

 

いろいろ。

 

でも、これ

全部、あなたとは無関係」なんです。

 

基本的に、なぜ「自分をイケてないと思うか?」

 

それは「他者・他物と比較する」ことによって、です。

 

他者・他物は「あなた」ではありません。

 

でも、比較してしまう。

 

それは、私たちが、学校から、企業、団体まで

ずーーっと

 

「他者と、ある程度”似ていなければならない”」と

 

ずーっと。

 

親からもそうだったかもしれません。

学校、企業、団体

 

ずーっと。

 

基本的に「他者・他物と比較することに意味はまったくありません」

 

実は「意味がある」と思うことは、

 

少し、印象付けをしたいため、どぎつい言葉を使うと

 

「他者・他物の存在を、本当に尊重している」とはいえないかもしません。

 

 

すべての存在は、価値があります。

その価値は、人の数だけあります。

 

だとすれば

「他者・他物の存在」を

 

・いいな、とか

・やだな、とか

 

そういう「判定」「批判」をする権利は、「まったくありません」

 

他者は他者のあるがまま

他物は他物のあるがまま

 

そして・・・

 

あなたも「あるがまま」

 

なので「他者・他物と比較する」ことに意味がありません。

 

企業や組織では「他者比較評価」

学校では「内申点・偏差値」

 

こうした「成長とは他者との競争である」という考えは、中世時代です。

 

サバイバル、生存のための

兵隊となるための

後方支援要員となるための

 

考え方です。

 

「他者と競争」

これを適用した瞬間に、

 

「あなたは、あなた以外になること」を要求されます。

 

それは、本当にまったく意味がありません。

 

まったく、ありません。

 

あなたは、あなた以外になる必要はありません。

あなたの理想は、あなただけのものです。

 

もちろん「ロールモデル」という考え方をすることもできますが、

「その人になる」ことではありません。

 

「その人の、いいな、と思うところを、あなたとして理解して、昇華する」ためだけ、です。

 

自分の性格

これは、まさに「他者との比較」、そして

社会通念という人為的な仮の設定と比較して思うだけです。

 

同時に

あなたの性格は、あなたが選択している」ということ。

 

イケてない・・・という自分を「選択」しているだけ、です。

環境でも、親でもありません。

 

なぜなら「性格とは、”表現”だからです」

あなたの本質、ソウルレベルとは別次元です。

 

だから「選択」可能です。

 

「こだわりすぎる」なら、

やめればいい。

 

簡単過ぎる?

 

そうです。

 

正確にいうと

「こだわりすぎる・・・という自分を選択していることを、”信じている”」わけですね。

 

他者や社会通念との比較をやめても

「自分がイケてない」と思うとき

 

それは「それを、あなたが選択している」ということです。

 

繊細、弱気、強気、面倒くさがり、他人ばかり目がいく・・・これらは、すべて「相対的」なものです。

 

繊細なら、むしろ、すばらしいクリエイトのチャンスです。

他人にばかり目がいくのは、むしろ「あなたという世界をすばらしいものにできる」チャンスかもしれません。

 

面倒くさがりは「本当にあなたがやりたいことを、しっかり理解している」ともいえます。

 

すべての言語は、

主観による「相対的」なものです。

 

仕事ができる、できないというのも

「できる」・・・という特定の言動をしただけ、特定すれば、それ以外は「できない」になります。

 

そして「他人の批判・評価」

 

あなたがもし「本当に、自分も、他者の存在も尊重している」なら、

「その他人の批評や・評価も尊重できます。同日に、その批評が、あなたとはまったく無関係であることもわかるでしょう」

 

そうはいっても、気になる?

「気になる」・・・という精神構造を支える「思い込みやネガティブ」があるだけです。

 

「一体、私は”気になる”というアウトプットをするために、どのような構造をもっているのか?」

 

シンプルに問いかけてみてください。

 

実は

単に「そうありたいけど、そうなれない。できない自分」と判断を下してしまっているだけかもしれません。

 

すべての人の価値

 

価値とは「存在すること」です。

 

「存在しているということ」

「生きているということ」

それが価値です。

 

なにか「あなた以外」になる必要はない。

 

あなたは「存在」している。

75億の価値の中の、あなただけの価値。

 

そう考えてみれば

 

「いかに、自分が、他者から”こうなるべき”といわれ、そこに合わせようとしてきたか?」がみえてきます。

 

 

そして、不思議なことに、

「存在する自分」

「自分の価値」

「自分らしさ、ただそれだけでいい」

 

そういう視点をもつと、

世界が変わってきます。

 

ふとした本、動画

ふと出会った人

ふと横切った人の仕草

ふと思いついたこと

ふと出会った言葉

 

世界が変わってきます。

 

なぜなら

世界とは「あなた」であり、

世界を変えるのは「あなたが変わること」だからです。

 

あなたは「他者・他物を評価したり、判定したり、比較したりする必要は一切ありません。」

 

あなたは、存在する。

 

それが最大の、理由です。