ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

「今、この瞬間に、輝いているか?」を考えた方が、はるかに重要なんじゃないかなーという話

かとうゆうです。

 

さて、ブログ、、、

 

あれ?いつもだと、このときなにか思い浮かぶのですが、浮かばない(笑)

 

ま、とにかく書いてみましょう。

 

そうそう!

「キャリア」

 

たくさんのメソッドありますよねー。

 

いろいろ。

 

でも、気をつけないと

「ほとんどが、フローの情報

 

つまり、

・人、ご縁

・社会条件

・タイミング

 

これでいくらでも変化します。

 

キャリアに成功した!っていう人も、

「その人だから、その人のご縁だから」が大きい。

 

なので、単にその方法論をコピーしても、「自分には合わない」

 

あと。

そもそも。

キャリア論って、「社会定義を前提にしている」

 

Aの次はB

1の次は2

 

例えば、マーケティングスキルを磨く。

広報だけじゃなくて、経営戦略とかもいける。

 

広報→経営企画部、、、とキャリア

 

でも、ですね。

 

周りの人とかみてるとわかりますが

「たいてい、1の次は2じゃない」です。

 

マーケティングやろうと思っていたけど、どういうわけか今「ラーメンつくってる」とか。

 

いくらでも。

 

つまるところ「可能性・選択肢はたくさん」

 

キャリアを考えるあまり「1の次は2」で考えると、

「範囲を狭める」ことになるんです。

 

しかも、その「キャリアメソッドは、時とともにどんどん変わる」

 

人生100年時代、、、なんていいますけど。

それで100年プラン描いたりしますけど。

 

あんまり意味ないなって。

 

だって、いつ死ぬかわかりませんし、

マーケターから料理人になる可能性もある

 

結局「フィジカル脳」は限界あるんです。

 

なので、昔から

「ご縁」

とか、

そういう「目に見えないもの」を大事にする。

 

一期一会とか。

 

なので、ぶっちゃけ、キャリアを考えたいなら、

 

「今、この瞬間に、輝いているか?」を考えた方が、はるかに重要だと思っています。

 

今、輝いているっていうことは

自分をよくわかっている

やりたいこと、方向性もわかっている。

 

方向性っていっても、社会的定義、、、たとえばマーケティングだ、営業だ、、、ではなくて、

「人を元気にする!」とか

「自然とふれあう!」とか

 

1000年前の人にいっても通じる「普遍的なもの」

 

今、輝いているっていうのは、そういう「普遍的なもの」をわかっているので、

 

あとは、自分の気持ちや、周囲のご縁やタイミングによって「どんどんやりたいように進めば」いい。

 

そして、今輝くっていうのは、

お金をもっているとか

結婚してこどもがいるとか

 

そういう「人為的あり方」じゃなくて、

 

気持ち。

 

最近、Slackをよく使ってますけど。

「あれ、、気をつけないとよくないな」って。

 

slackは「前へ!前へ!」のツールです。

だからどんどん情報が流れる。

 

で、、、あれ?日程一覧どこだっけ?とか

コンセプトシートってどこだっけ?とか

あのとき会議で使った資料どこだっけ?とか

ストック情報がわからなくなる。

 

でも、こういうSLACKみたいなツールがはやるってことは、

社会が「前へ!前へ!」になっているってこと。

 

もちろん「前へ!」も大事。

 

だけど。

そもそも「自分とは?」

生命とは?

そして、歴史とは?

 

しっかり「本質に向き合う」ことを大事にしないと、

ふわふわ、ふわふわ浮いてしまう。

 

個人的には、いずれこの欠陥が露呈して、

CANVAS機能とか搭載されても、焼け石に水で、

 

やがてSlackは消えてゆき、フローとストックを両立した優れたコミュツールが出てくるだろうなって思ってます。

 

孔子がいってましけど。

「世の中をみたいなら、はやっている子供の遊びをみてみなさい」と。

 

子供の遊びじゃないけど、

Slack。

 

前へ!前へ!

 

とにかく日本は「閉塞感」

なんとかそこからはいあがろうと、必死に世界中の成功例やらメソッドやらを試してなんとかしようとしている。

 

でも、実は、今大事なことって

「日本って、どんな歴史なんだっけ?」

「私たちって、どんな存在?」

これについて、真剣に向き合うことだと思っています。

 

キャリア論も同じ。

すぐに「新しいカタカナ名」が登場しますけども。

ぶっちゃけ、広告代理店というのは「ちょっと違う」だけでも、「めちゃかっこいいカタカナ名をつける」わけです。

 

本質は変わらない。ただ、光の当て方や色合いが違うだけなのに、あたかも全く新しい概念であるかのように、です。

 

人類の歴史で、そんなに新しい概念なんて、早々に出ません。

カタカナ名で書いてあることも、昔のおシャカ様が語っていたり、します。

 

というより「普遍的」なものって、1万年やそこらじゃ陳腐化しないんです。

 

「前へ!前へ!」”だけ”ではなく、

 

「今、この瞬間、私は輝いているのか?」

 

これをしっかり味わってほしいな、と思います。

 

もっというと

「精神性」

 

これです。

 

今までは宗教が担ってきましたけども。

そうじゃなくて、

 

人類としての「精神性をどう培うのか?」

このあたりをしっかり考えて、

 

自分なりに価値観をもっていくこと、

これが「今、問われている」

 

「あなたは、誰ですか?」が問われていると思っています。