ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

没個性アプローチ・・・意識しないほど「浸透」、、、ゆえに「停滞」

かとうゆうです。

 

それにしても、日本は何かあると

「没個性アプローチ」

とりますね。

 

「ルール・規範・一律」ってやつ。

 

仕事の面接。

特に新卒とか。

 

なにやってんだろ?と。

 

人材がほしいわけですね。

それを求めている。

 

だけど「没個性アプローチ」

 

リクルートスーツ、髪型、靴下、靴の色まで同じ。

 

最近そういうんじゃない企業もありますけど、新卒側からすると「それが無難」と。

 

無難?

 

もし本当に人材がほしいなら、

むしろ「普段着」「服装自由」

 

この方が「個性」わかりますよね?

 

髪型だって、なんだって。

 

「ぜんぶ一緒」ということは「没個性」になっちゃう。

 

しかも面接っていっても、たいてい「お決まり」

 

さらにSPIなる「テスト」!まである。

 

本当に人材がほしいなら、服装自由だけじゃなくて、

面接の方法だって多様でいい。

テストなんて、まったくいらない。

 

人材がほしいのに「人材」と真逆のことやっているわけです。

 

あと、逆に

「問題」

 

これがあっても、やっぱり「没個性アプローチ」

 

自殺や他殺まであった中学校。

その問題を改善しようととられてたのが

「先生のいうことをよくきく。みんなと同じように従う。」です。

 

逆ですね?

そもそも陰鬱な事件や事象があるのは、

「その子供の価値、ひとりひとりの価値」を認めてないから。

 

いじめ・・・というのも

「何か特定の言動やありさま=正常」とする教育。

子供たちの個性を奪い、集団統制させるゆえの、子供たちのストレス。

 

これが原因だと思っています。

 

企業も同じ、ですね。

「生産性をあげたい」というと、

突然、変なルールを「全社設定」したりする。

 

そうじゃないんです。

100人いたら100通り

 

ここを出発点にしないと。

 

今や、日本のGDPはどんどん遅れをとっている。

そのうち20位くらいになるんじゃないかと。

 

もちろんGDPという規模がいいわけじゃないですけど。

生産性・賃金・幸福度、最低水準。

 

これ少子高齢化でも、バブルでもなんでもないです。

 

「変わってない」

 

変われない。

 

そりゃそうなんです。

「物心ついたときから、ずーーーーとと”洗脳”されきている」ので、

 

そういうもの、になってしまっている。

 

幼稚園・保育園、小中高、大学、企業

 

ずーーーーーっと。

 

さらに「親からの定義」

 

親もそうやってきたので、

「没個性の連鎖」は、世代継承されちゃう。

 

「よい子」「悪い子」

「優れた人」「そうでない人」

「健常者」「障がい者

「性的マイノリティ」

 

これら全部、本質的に「存在しない」んです。

 

それを「正常」と定義し、

そこに矯正しようとするので、そうなる。

 

みんな「対等」

ひとりひとりが、唯一の「価値」

 

ここが出発点です。

 

こうみると、

公教育は、大失敗。

企業や経済の低迷も、「変われていない」から「当然の帰結

 

だけど、

やれ少子高齢化がどうか?とか「他律的

仕方がないとか「あきらめ」

そういうものという「思考停止」

 

他律的

あきらめ

思考停止

 

、、、この状態では生産性も幸福度も下がるのは当然。

 

なぜなら、「他の誰のせいでもなくて」

「わたしたち自身のせい」なので。

 

とはいえ、

もう時代は変わってます。

 

「変わりつつ」じゃなくて

「変わっている」

 

世界ではそれらを体現したシステムや制度、教育はたくさんあります。

 

なので、難しいことじゃない。

やればできる。

 

すぐに。