ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

このテーマで話すと、アクセス減るんですけど、それ自体が「象徴かも」なんて思ってます。

かとうゆうです。

 

いろいろ教育、企業

「硬直的」

パラダイムが1960年代かまたはそれ以上に古い」

 

なんて、いろいろ書きました。

 

で?どうする?ですけど。

 

いろいろなアプローチあります。

個人できることからいろいろ。

 

ただパラダイムを変える・・・となると「政治」

 

ところが「政治」

 

これも「深刻」

 

社会学者の廣井良典さんが指摘してますけど。

ぶっちゃけいうと

 

「デモクラシーが成熟しないまま、戦後、政治”以外”を成功体験として今も根深い」

 

成熟しない・・・つまり、大正デモクラシーがありましたが、まだまだ「民度」としては未成熟。

そのうち戦争に向かって、全体的傾向が強くなってしまった。

 

で、戦後復興。

政治”以外”っていうのは、

 

要するに、生産どんどんして復興する。餓死者もいた。なんとかしないと!

 

そのために、

「集中」「時間の投下」

 

集中は、官民あらゆるものを「東京」に

そして、男性=仕事、女性=専業主婦

働き方、制服も「固定」

 

とにかく「しのごのいわず(個性とかでなくて)、同じパターンで効率的に動ける状態」

 

この状態に。

 

「時間を投下」

 

どんどん時間。

 

時間量の増大=男性は深夜残業(男はバリバリ的な、勝手な定義)

で、給料があがった。

 

政治なんて、もはや壊滅状態。

GHQの統制下。

 

個人とすれば

「政治にどうのこうのいうよりも、企業の福利厚生とか、給与待遇の改善を申し出た方が生活は改善される」

 

で。

政治・・・は「どこか、自分たちとは違うもの」

 

なにかあれば「企業」にいった方がいい。

 

この成功体験。

 

ところが。

政治。

 

みなさん生涯、税金や保険料などいくら払ってますか?

 

生涯。

 

住宅や車どころじゃない。

 

しかも、生活サービスの基幹です。

幼稚園・保育園から学校。そして道路やら利便性。

さらには介護や年金まで。

 

住宅どころの金額でも、影響でもない。

 

莫大な影響。

 

でも、、、、「政治は”無関心”」

 

なぜなら、大正時代も含めて

「民意によって政治を動かし、社会を改善してきた」という体験が弱く

「会社・企業に従属して、待遇改善をしてもらう」体験の方が強い。

 

ちなみに

無関心ってことは「現政権支持」と同じです。

 

なぜなら、投票率が下がると、組織票の割合が増えますから。

 

投票しないっていう行動は「現状を丸呑み」

 

よく「投票したい政治家いない」

っていいますが。

 

私は違うと。

 

なぜなら、車。

みなさん、カタログ、口コミ、たくさん調べますよね?

 

スポーツとか。

もう解説者みたい。

 

政治。

Youtubeでもなんでもわりと「露出」してます。

 

「調べようと思えば、ある程度情報はわかる」

 

スポーツとかに比べれば「ある程度」ですが。

 

「やればできる」

 

でも、「してない」

 

なんとなくテレビ。

コメンテーターの平凡な解説。

 

なんとなくみていて

「なんとなく・・・」

「政治なんて金でしょ?・・」

 

と。

 

三流の政治は、三流の国民が生む・・・これが大原則ですけど。

 

政治に無関心や揶揄、酒のつまみ話程度ってことは、自分たち・・・に返ってくる。

 

なので「無関心」

これが多いことは、「政治が悪いから」ではないですね。

 

それもあるけど、それを「どうにか」しようとしていない。

 

結果。

意識せずとも「現状を丸呑み」

 

こうしてみると。

日本、問題だらけですね(笑)

 

学校から企業まで「軍事組織モデルによる硬直化」

政治的無関心

そして「少子高齢化だ・・・という他律的”あきらめ”」

 

トマ・ピケティが指摘するように

資本主義は「成熟期」が”長い”

つまり、今が「普通」

 

これが資本主義。

中国とか新興国の動きは、「特異点

 

経済とか人口の「せい」にするのは、お門違いだと思っています。

 

でも。

もう世界ではたくさんの新しい制度・考えが出てきている。

ゼロから考える必要はない。

 

だから「気づけ」ば、すぐ!そう思っています。