ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

なんか最近、二極化の旧世界のニュースが飛び込んできて、「私はそんな選択はしない」とますます強い意思をもちはじめた、、、という話です

かとうゆうです。

 

ダイハツ、、、裏金、、、そして!

「公立中高の96%がFAX使用。通信簿は”ハンコ”文化」

 

いやはや・・・

もちろんFAXは手段、、、つまり表現の話なんですけども。

 

これまで、ずーっと「今は、中世」だといってました。

・上下階層(優れた人、劣った人)

・競争のために他者と数字で比較する

・テスト大好き

 

ひとりひとりが価値ある、そして誰もが「対等」・・・という観点からみれば「もはや旧世界」ですね。

 

で、、学校は、さらに

・兵隊および後方要因育成

つまり

植民地時代。

 

集団統制

「みんな」・・・が主語

先生が「偉い人」

運動会イベントその他、全部「”優れた大人”が用意して、生徒は”従う”」

 

そして偏差値、内申点

 

さらに。

・明治時代性

 

課目は未だに明治時代。テクノロジーは「排除」気味。

ゲームはコミュニケーションツールなのに「禁止」

そもそも課目に「テクノロジーと生活、意味について学ぶ、知る」がない。

せいぜいPC触るくらい。

 

で。教えられるのは「フロー」

つまり社会、変化で変わるもの。

フローだから「ひたすら暗記」

ほんとは「ストック」

自分の意見をもつこと、他人の意見を尊重すること、チームでクリエイトすること・・・でも、それはぜんぶ「統制」され、自主性はほとんど失われる。

 

植民地時代は仕方ない。

だって、明らかに世界から遅れていた江戸時代。

フローを暗記、するしかない。

蒸気ってなに?機関車ってなに?と。

 

でも今は違う。

違うのに「暗記」

 

たくさんありすぎて「塾」・・・

 

さらにテストで「区別・差別」

 

これ、、ほんとに「なにやってんの?」状態。

 

 

で、、、FAX、、、

 

もはや「旧世界」もいいとこですね。

 

でも、ですね。

「本当に問題」

なのは、

 

気づいている大人、先生たち、保護者も

「変えようとしない」こと。

 

FAXなんて、変えようと思えばいくらでも可能。

通信簿だって。

別に法律で規制されてるわけでもない。

 

FAXやめてメールにしましょ。

通信簿はサインでいいですよ。

 

決めれば、「すぐ」

 

校則も同じ。

先生ですら「疑問」、でも「指導」

 

決めれば、「すぐ」改善される。

 

問題の根幹は

「変えようとしてない」

諦め

仕方ない

あるいは面倒

 

で、、、この「精神」

 

企業から政治、経済まで「ほとんど覆っている」感じですね。

 

たとえば会社。

 

いくらでも変えられる。

 

社長がどんなに強権でも、社員の過半数が「だめだ!」と突きつければ「従う」しかない。

 

有志で集まってもいい。

 

でも

「変えようとしない」

 

ここが日本の低迷の、根本の根本だと思っています。

 

仕方ない

そういうもの

とりあえず害はない

 

そういう「無難」

 

表現を変えると

「自分と身近な存在”以外”は、”従う”方が無難」

 

従う・・・・これ、つまり学校からずーっと、訓練されてます。

 

なにかに異議を提示したり

別に普通に「ちがくね?」というだけでも

 

それより

「従う」

 

で、、、「従う」だけじゃ、生きててストレス。

 

で、「愛情の矮小化」

 

自分や身近な人たちには「めちゃくちゃ愛情そそぎまくり」

コンビニの若い店員には「クレーム、上から、命令口調」

 

狭い狭い愛情、、、これ正確には「愛」とはいわず

「偏り」ですね。

 

狭い狭い偏り

無難

従う

 

さらにいっちゃえば

太平洋戦争だって、これ。

 

特定の軍国主義者だけで、あんな選択はできない。

 

「みんな」

だから、従う、無難・・・

 

結局。

高度経済成長期は、ある意味「ゼロから」なので「復興させやすい」

国際情勢も味方した。

 

そして「軍事的集団性」が、ゼロからの生産を生めた・・・

 

たまたま「軍事的集団性」で「成功」した。

それは時代や国際情勢があったから、できた「特異点

 

でも「特異」じゃなくて「普遍的成功体験」

なので、やっぱり今も「軍事的集団性」

 

学校も企業、組織も、、、

従う、集団、統制、無難・・・

 

これ自体は今もあまり変わっていない。

 

なにかというと少子高齢化やらバブル崩壊と「自分以外のこと」が原因だというあきらめ。

 

従う、

集団、

統制・・・

 

ネットの時代でようやく少しずつ変化しつつも、「地球規模の変化」にはおいつけず、、、

 

さらに、生活や社会はそうはいっても変化しつつあるものの

 

「学校」

教育だけが、ずーーーーーっと明治以来。植民地スピリットのまま。

もはや化石、、、いや化石としての「希少性」すら失われている。

 

で、この教育で、従う訓練を受け続けた人が社会に出る・・・

 

なので「日本の低迷」っていうのは、

バブルとかそういうことじゃなくて、

 

「もっと根本」で起きている。

 

でも。

「二極化」

 

すでに、こういう「旧世界」とは離れている、離れつつある「人々」も数多く。

 

中世、植民地時代のまま、、、そして「変えようとしない」ままの世界

どんどん変化し、ひとりひとりが価値ある存在という世界

 

二極化は、どんどん分岐し、どんどん離れている。

 

でも「まだ間に合う」

それは「針の目」かもしれないが、まだ間に合う。

 

でも、もう10年20年もすれば

「本当に、二つの世界は交わることすらなくなる」

 

そして生まれ変わりを繰り返し、

完全に「異なるパラレルワールド」に。

 

ちなみに

そうはいっても「すべての体験は価値」あるが宇宙視点ですから。

 

中世だとしても「遅れている」とか「悪い」とかではない。

 

でも、シンプルに、

現実世界でも「中世」、そして生まれ変わるときも「ペナルティ的カルマ」の世界よりも、

 

もっと自由で、ひとりが価値ある世界の方が、「心地よい」という体験はたくさんできる。

 

実は「その選択」をするために、

ネガティブなことがどんどん表面化している・・・そんな時代でもある。

 

それに対して「気づき」、なにを選択するか?

 

それはもうひとりひとりの「意思」にかかっている

 

たとえ「あきらめ、無力、従う」・・・仕方ない・・・という気持ちだとしても、

それも「あなたの選択」だということですね。

 

いや、、、まぁ、しかし、FAXだのハンコだの、GIGAスクール構想やら個性重視教育なんていっても「なんにも変わってない」ことに愕然とし、

 

ちょっと筆勢が「とがって」しまいました。。