ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

会社、組織、、、そしてアセンション・・・もういいかげん1960年代やめませんか?という話

かとうゆうです。

 

ちょっと変わったタイトルだったかも、ですが。

 

いきなりながら

「生産性」

先進国最低。

幸福度や賃金も最低なので、もうほんと「低い」

 

会議の方法とかテクニックもありますけど。

 

結論からいうと

「自然の法則にあってない」

 

カッチカッチ。

 

たとえば

スイス。

 

労働時間や働き方は「選択」

今年は、ちょっと副業もしたいから、80%くらいいくわーとか。

育児あるから60%とか。

 

別に「普通」らしいです。

 

考えてみれば

人生。

ライフサイクル

 

変わりますよね?

関心だって、趣味だって。

 

だから「選択」

 

でも日本。

相変わらず「特定の言動=正常」と決めちゃう。

 

フルタイム=正常、の世界。

 

平日5日。

8時間。

とか。

 

で、それ以外は

「時短」とかって「排除」

ひらたくいうと

「ちゃんと働けない人」

 

だから時短すると、もう強制的に給与低い。

 

これ笑っちゃいますよね。

 

だって「時間じゃない、生産性・付加価値だ!」なんていいながら、

結局、かっちかっちの「時間」で評価してるんです。

 

時短の人がいくら功績あげても、給与は低い。

惰性でだらだら残業している人の方が、高い。

 

結局。

カッチカチの時間で評価。

 

しかも「選択の余地」がない。

 

時短か?フルか?

減るか?もらうか?

 

二択。

 

これじゃあ、ワークライフバランスも保てない。

 

おまけに男性は仕事だってことで

お迎えとか、そういうのは「早退」

やりすぎると「評価にひびく」といういんですから。。

 

結局ですね。

生産性の根本。

 

つまり「あなたらしさ=快適」

心身ともに快適。

 

だから「付加価値も、エクセレントなアイディアも生まれる」

 

でも、そんな「自然の法則は無視して」

仕事ってのは、ときに深夜までやるもんだー、みたいな。

 

労働時間、日本は多いですけど。

これじゃ生産性低い。

 

しかも、日本って「だいたい帰ってもいい時間」ってのがあります。

 

ほんとはもう帰っていいんだけど、、、

まだ19時か、、、

もうちょっとやろうかな、、、

 

と、無駄なことをやりはじめる。

 

「20時くらい」なら帰っても、なんか「いい雰囲気」

 

これありますよね?

 

で。

こんなことしてるから、

生産性高くない。

 

個人の心身の快適さを「カッチカチの時間で縛り付け」

おまけに「帰っても時間という雰囲気」

 

私、いっつも思うんですよ。

働くママって、すげーって。

 

生産性めちゃくちゃ高いです。

無駄なく、パッ、パッとやって、

やりきれないところは、しっかりフォローお願いして

フォローしてくれた人は、フォローして。

 

それでお迎え時間に「ピタリ退社」

 

しかも、朝から晩まで

同じ職場、同じ人間関係の「たこつぼ」じゃない。

 

保育園とか地域、学校、いろんなつながりがあるから

「視点が多様」

 

WEBデザインどうしよっか?・・・なんていうとき、するどいアイディアを出してくれる。

 

もしですよ。

もし。

 

ほんとに「時間量で評価しない」っていうなら、

時短の働くママこそ、1000万以上もらったっていいんじゃないかと思うんですよ。

 

でも、

ほんとに。

まだ「1960年代」

 

高度経済成長期。

朝から晩まで、我慢して、苦労して「経済大国2位」の成功体験を、

未だにひきずっている。

 

でも、ですよ?

1960年代

戦後って、餓死者もいたんです。

国土は壊滅です。

 

この異常事態から復興するためには、

資源、リソースを集中するしかない。

朝から晩まで、

動ける人は「自然のリズム」なっていってる場合もない。

 

で、確かに経済大国になった。

 

でも、「特異点」の話ですよね?

 

つまり「普遍化できない」

 

あくまであの時代だから。

 

今や

個人が組織を追い抜いたともいわれる時代。

ようやく真の貢献は、真の心身快適から生まれることを選べる時代。

テクノロジー、ネットの発達。

 

明らかに冷蔵庫と洗濯機、テレビで喜んでいた時代とは

全然違う。

 

なのに、

未だに

仕事は「ばりばり」やるんだ、とかって。

 

あほやなーって思っちゃう。

 

で。

 

自然の法則っていうと、

さらにおかしいんですよね。

 

人間って、もっともリズムが低下するのが

午後2時とか夕方らしいです。

 

シエスタ、、、なんて文化ある国あります。

午睡。

 

実はこれ、リズム的にすんごい「あり」

 

たとえばですよ?

明らかに集中力が低下しているのに、

朝から同じテンポでずーっと、仕事してたら、

そりゃ、いいアイディアなんて出てこない。

 

逆に、午後は「寝るか」ということで、

寝て。

すっきりして、

残り1,2時間しかないけど

すっきりしているから、

だらだらやって4時間のことを

1時間で終わらせ

さらにすんごいアイディアも生む。

 

これ、どっちが企業に貢献しているか?って話ですよね。

 

もう日本はですね。

・フルタイム=正常、それ以外を「差別」

・午睡もそうだし、雑談とか、休憩とかも「固定」

 お昼は、12時から13時までですとかって。

 固定。

 人それぞれなんですけどね。

 

加えて

・メンタリティが未だに1960年代

 

この状態では、

そりゃ、

生産性も最低。

賃金も最低。

幸福度も最低になります。

 

当然。

 

なので少子高齢化とかバブル崩壊だから、、、って

全然「いいわけにもならない」

 

そこじゃない。

 

そこじゃないんですよね、根本は。

 

1960年代の状態。

 

いわば、

寛永の江戸時代の方法で

明治時代の会社を運営している、、、というか、そんな感じ。

 

しかも怖いのは

 

カッチカッチ、優劣差別の最低レベルが

「教育」

 

保育園、幼稚園から小中高、そして企業まで

 

ずーーーーと、訓練受けている。

 

だから、

「まぁ、いけてないところもあるけど、会社ってそんなもんじゃないの?」

なんて、

 

あきらめっていうか、

放棄というか、、、、

 

ティール組織。

日本でもトライしてますけど。

 

あれ、ヨーロッパ。

つまり

「個人」と「私」が対等っていう文化があるのが前提なんです。

 

だから、日本は

「集団統制、従属」から、まず「個人」要素を加えないといけない。

 

どんなにすばらしいティール組織化のアイディアもうまくいかない。

 

だから、日本は

ハードル2つあるんですよね。

 

で。

一方ですね。

 

ほんとに少ないけど、

企業にも、ほんとにティールとか

ほんとに「個人の最大化」を実現している企業がある。

 

NPOセクターは、むしろ「やや多い」くらい。

 

少しずつ。

 

で。

フリーランスとか

スキルシェアやら個人事業、ぷち事業なんてのも登場している。

 

少しずつですけどね。

 

でも、

1960年代状態とは、もう「全然違うパラダイム

 

アセンション

 

なので、スピリチュアル的スペックだけの話じゃないです。

こうした

企業とか

組織とか

 

もういろんなことのパラダイムが変わる。

 

それがアセンションなんですよね。