ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

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ティール組織が日本で定着しないのは、アセンションする構造と同じパラダイムを「気づいてない」から、でも、気づけば一気にいくよという話です

かとうゆうです。

 

今日は、

ティール組織が、なぜ日本で定着しないか?

 

これ、

アセンションとも大いに関係あります。

 

「すべての人は対等」

 

ティールは、これ、です。

 

対等。

 

でも、社長、事業部長、部長、局長・・・いろいろありますが、

どうでしょう?

 

そもそも

対等なら、

 

言葉遣いを「上位敬語にする必要ない」ですね?

その人が、雑用(私は、雑用はないという考えですが)してようが

別に、、、ですね。

 

日本は「まったく対等じゃない」

江戸時代と同じです。

階層。

上下。

 

さらに「集団統制」

意味もなく、髪型から靴下、下着までも「統一」することに「美徳」を感じる。

 

これ明言しちゃうと

「異常な感性」です。

 

軍隊じゃあるまいし。

軍隊は、理由ある。

敵、味方の識別。

地形に応じた色。

 

学校は軍隊じゃない。

 

集団であること。

これ自体は特になにも事実を表すだけですが、

 

日本はこれに「従属」が加わる。

「集団統制に”従う”」

 

さて。

ティール組織。

対等なので、管理職っていないです。

いらない。

 

全員が「経営から現場まで」

「あなたがやりたいことは、所属に関わらず、なんでもやる」

 

ティール組織がパワフルなのは当然です。

 

さて。

フレデリック・ラルー(提唱者)は、

レッドからアンバー、オレンジ、グリーン、そしてティールまで「モデル」として進化。

 

さて。

レッドは「軍隊みたいなもの」

グリーンは「主体的に動ける組織」

 

とはいえ。

レッドからグリーンまでは

「階層構造を残したまま、”できるだけ”風通しよくする」パラダイム

 

ところが、

ティールになると、完全に

パラダイムが違う。

「対等」

 

風通しの必要すらない。

対等なので。

 

で。

日本。

 

上下階層

集団統制

従属

 

これを、学校から企業まで

ずーーーーっと、洗脳受けてる。

 

当然だ、くらい思っている。

 

ところが

ティールは

「まったくパラダイムが違う」

 

簡単にいうと

集団的従属を「解放」する必要がある。

 

ティールは欧米発祥ですが

欧米は、総じて「あなた」「私」が確立している。

 

その弊害としての「自我の強さ」はあるにせよ。

 

なので、

ティール組織を浸透させたいとき

欧米は

「その概念」をしっかり実現すれば可能。

 

ところが日本は

「概念の実現」だけでは、全然定着しない。

 

ずーーっと洗脳されているので。

組織がティールでも、個人の動きは「上下・従う」になってる。

 

なので、日本で

ティール組織を標榜しても全然定着しないんです。

 

もうひとつ。

ティールへの誤解。

 

日本は「集団統制」が強いので、

3つの要素のうち、

どうしても「セルフマネジメント」に注目する。

 

なので、ティールにしたい代表やマネジメントクラスの人は

メンバーにこういうんです。

 

「もっと自主的にやっていいんだよ!」と。

 

ところがこれが

逆効果。

 

そもそも「従属」関係に慣れているので、

「自主的に」といわれると、

 

こう感じるんです。

「私は、足りない」

 

つまり「批判されている」と。

 

なので、

いくら一生懸命

セルフマネジメントだよ、自主だよ、といっても

逆効果

 

ますます「萎縮」する。

 

そもそも3つの要素

エボリューショナリーパーパス(存在目的を全員が理解している)

ホールネス(鎧を脱いで、あなたらしく、そのままでいいですよ)

セルフマネジメント

 

この3つの根幹は

エボリューショナリーパーパスです。

 

私たちは何のための組織か?

 

これを全員が

「私は何部」とか

「私の職務」とか

その視座からみるのではなく、

 

経営的視座から現場視座まで

「メンバーひとりひとりが理解していること」

 

これが根幹。

 

わかりやすくいうと

目的、といってもいいかもしれない。

 

その結果、、、つまり「手段」として

ホールネスとセルフマネジメントがある

 

そんな構造です。

 

なので。

気持ちはわかりますが

 

いきなり「セルフマネジメント」にあこがれをもち

メンバーに「自主的に」といっても、

 

萎縮

そして、結局、上下階層構造に戻る、あるいは、残存しちゃうんです。

 

特に。

私も、少し「代表」的立場になったことがありますが。

 

代表的立場の人がよくいうのは

「もう少し自主的に」

「上が決めてじゃなくて・・・」

っていう「ぼやき」

 

でも、この「ぼやき」っていうのは、

言葉を言い換えると

ティール組織として、しっかり実現していない状態で、強制的にティール的を求めている」ので。

 

ちょっときつい表現すると

自業自得なんです。

 

ティールは「自主的に!」なんていわなくても

自主的になります。

 

なぜなら組織全体の存在目的。

 

会社全体がなんのためにあるか?をメンバーがしっかりわかっている。

だから、個々の業務、プロジェクトに対して

「それって、本当のクライアントにとって意味あることですか?それで売上げを得たとしても、結局、株価維持じゃないですか?」

といえる。

 

日本企業じゃいえません。

社長にそんなこといったら、どうせあとで「お小言」ですから。

 

組織の存在目的。

 

この意味と価値をしっかり理解している。

 

だから、「自主的に!」なんていわれなくても

自主的になるし、

自分らしさを大事にするんです。

 

なので、

日本。

 

セルフマネジメントにあこがれて(集団統制社会なので、なおさらあこがれて)

自主的に!とメンバーに「求める」

 

っていうのは、

なんていうんでしょう。

 

空回りというか

順序が逆です。

 

そもそも

ティールが「超風通しいい組織」ってところばかり注目しちゃいますが、

そうじゃない。

 

それは「結果」

 

全員が存在目的を理解しているから。

 

なので、

浸透させるためには

 

そもそもの組織パラダイムを変える必要があります。

 

管理職の撤廃だけじゃなく

事業・部・課・・・といった編成そのものも。

 

人事評価のあり方も。

 

なぜなら、

日本の企業は

どっぷり上下階層構造になっているので。

 

そこにメスをいれる。

 

その上で、ティール組織として

存在目的の共有できるように

議論の場

コミュニケーションの場

発信ややりとりできる場

 

そして、

繰り返し、繰り返し訓練する、、、

 

 

ここまでしないと定着しない。

 

なぜなら日本社会自体が「集団統制」

集団統制すぎて「当然」くらい思っているので

 

その観念を壊す必要があるんです。

 

で。

アセンションっていうのは

「ひとりひとりが対等」が大前提です。

 

いくらチャネリングスキルが高くても

独善者のように、他者を従えるようなことでは

アセンションとはいえない。

 

単に「感覚が敏感」というだけ、です。

 

ひとりひとりが対等。

 

このアセンションのテーマとティール組織は

根本が同じなんです。

 

日本は今「息苦しい」

賃金、生産性、幸福度最低です。

 

世界のパラダイムが変わりつつあるのに

未だに「明治の植民地時代を勝ち抜く、生存モデルと集団統制」が強く残っている。

残っているばかりか「それが当然」と思っている。

 

もっとも遅れている教育。

この教育を受けて、今もどんどん若者を輩出している構造なんです。

 

とはいえ。

もう「解」はあります。

 

一から「ティール」をクリエイトする必要はない。

すでに存在する企業がある。

 

だから「気づくこと」

これが大事なんです。

 

気づけば、一気にいけます。

 

もはや「当然」くらい思っている

常識、あるべき姿と思ってしまっている

 

これに対して

「あれ?へんだな?」

 

そう感じたとき。

そのときから、アセンションは始まります。