ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

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恐れや不安は、”あなたの存在”以上になることは決してない・・・やりたいことがあるけど、行動できないとき

かとうゆうです。

 

今日もパワーワードをみつけた、ということで。

 

恐れや不安は、”あなたの存在”以上になることは決してない

 

この言葉があてはまる、ケースは

「これやってみたい、、、でも、才能あるわけじゃないし、やっぱり今の仕事を続けるしかない」

 

そんなとき。

 

すでに「やりたいこと」ははっきりしています。

 

しかし「やりたいこと」に

 

2つの、がんじがらめの「鎖」をつけて、縛り付けていることがあります。

 

ひとつ。

こうあるべき

 

生まれてきたから、この間、あなたは

「あなた以外の、法則や定義によって”こうあるべき”」を

 

なんども、なんどもたたき込まれてきています。

 

たとえば。

「パン作りをしたい」

 

でも、

「今の仕事も、やりたいわけじゃないけど、パン作りするなら、会社やめないと。」

 

失業手当をもらう、ことに抵抗感があるかもしません。

 

・パンをつくるには、才能が必要

・パンをつくるには、資金が必要

・パンをつくるには、まず副業からはじめて、仮に失敗しても大丈夫なようにリスクヘッジすべき

 

などなど。

 

こうした「定義や法則」

 

実際には「あなたとは何の関係もありません。

 

あなたがよくいくパン屋は

・うまさ抜群ってわけじゃないけど、人も温かいし、手作り感がすき

・そのパン屋は、最初お金がなかったが「ちょうど声をかけてくれる知人がいた」

・思い切って脱サラしたら、なんだかんだうまくいった

 

こうしたことは、

「別に、奇抜でも、変なこともでもない」ですね?

 

よくある話です。

 

なので

次を探すなら、次が決まってからだ、とか。

自営業やるなら、貯蓄はたくさん必要で、失敗リスクに備える、とか。

 

こういう「法則や定義」は

本質的には「無関係」なんです。

 

もちろん「そのことを無視する」といっているわけではありません。

収支も大事。

でも、それは「ビジネスなら、ビジネスの遂行の場面としてあるだけ。」です。

それだから「できない」という状態にはなりえない。

 

「選択肢は無限」だということです。

 

無限・・・なのに、なぜか「一定のパターン」をとらないと”こうあるべき”」から反するように思えて、結果的に「なにもできない」・・・

 

無限・・・なのに「私には、そういう理想ストーリーは確率的に実現しえない」と思い込んでいる。

 

これは本当にもったいないことです。

 

2つめ。

ここで冒頭の「言葉」が登場します。

 

恐れや不安は、”あなたの存在”以上になることは決してない

 

なにをするにも

恐れや不安はつきまとうかもしれませんが、

 

「恐れや不安」というネガティブなものは、

本来のあなたには存在しないもの」です。

 

いわば人類が、サバイバル時代に「恐れや不安」という武器を作り出し、人為的に装備したもの、に過ぎません。

 

そこに実態はありません。

 

なので

いかなる不安も、恐れも

それが最大のパワーを発揮したとしても

「あなたの存在以上」にはならない。

 

あなた、ではない人為的なものなので。

 

仮に「最悪」の事態と思うことを

想像してみてください。

 

お金がなくなって、、、生活できなくて、、、自ら命を絶ってしまうかも、、、、など

 

どんどん想像してみてください。

 

どんどん想像すると

「うーん、、、でも、そうなるのか?」

とだんだん疑問に思ってきます。

だんだん想像することが、ばかばかしくなってくるかもしれません。

 

そうなんです。

「不安や恐れ」は

 

あたかも「それが実現するような」パワーはありますが、

「実際に実現するパワー」はもっていないんです。

 

なので、想像して、なりきってみて、事細かく演じてみればみるほど

「だんだんばかばかしくなって」きます。

 

あなたの存在を超えることは、不安や恐れは不可能なんです。

 

それでも不安なら、こういいましょう。

 

「だから、なに?」

 

そうなんです。

そうなった、、、だから、なに?

 

「だから、なに?」という、パワーを

不安や恐れにつきつけると

 

不安や恐れはそれ以上力を発揮できなくなります。

 

「まぁ、わかった。わかった。そういう最悪な事態ね。はいはい。可能性はゼロじゃないね。数学的にはね。で?だから、なに?」と。

 

大事なことは

「やりたいこと」が明確だということです。

 

それを「現実と称する社会通念で縛り上げ」

「さらに、不安と恐れで縛り上げる」

 

なので、

「だから、なに?」

 

なんです。

 

もちろん、誤解しないでくださいね。

「やりたいこと」

 

これ自体が「不安や恐れ」から思っているとしたら、それは話は全然別ですので。

 

たとえば

やせて綺麗になりたい!・・・実は、その裏の本心は「馬鹿にされたくない」という恐れがある

 

独立開業したい!・・・実は、その裏の本心は「今の職場から逃げたい」という恐れがある

 

こうしたときは、

「本当に、やりたいことと思っていることがやりたいのか?純粋に、シンプルに?」を問う必要があります。

 

それでも

「やっぱり、やってみたい。でも、、、」

 

といういうとき

不安や恐れは、一見パワーがあるようにみえるだけですので、

「だから、なに?」でやっつけてしまいましょう。